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  • 2008.04.12 Saturday
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ランドセルの脇に付いている留め具は、元は手榴弾を引っ掛けるためにあった

ランドセルの横についている留め具と言えば、小学生などが給食袋や白衣などを引っ掛けているのを良く見かける
ランドセルは元々、軍隊で兵士が背中に背負っていた背嚢(はいのう)というリュックから派生したもの
両手が自由に使え、歩伏前進など移動の邪魔にならないので背嚢はとても重宝されていた
さて、昔の手榴弾は、今のような小さな樽型ではなく、20cmくらいの棒の先端にに円柱型の爆弾がついているタイプだった
背嚢に入れていてはいざ戦闘という時に使えないし、ポケットに入れておくには長すぎる
そこで、背嚢の脇に留め具を付け、そこに手榴弾を引っ掛け、戦闘ですぐに使えるようにしていたのだ
やがてこの背嚢の機能性が広まり、小学生用のランドセルなどに派生していった後も、昔の名残として残り続けています

日本の今上天皇(今の天皇)は、友人と銀座をぶらついて事件になったことがある

まずは今生天皇について。
1933年(昭和8年)12月23日午前6時39分に昭和天皇と香淳皇后の第一皇子として生まれた。称号は継宮(つぐのみや)で日本の今上天皇(第125代の天皇)。

1958年(昭和33年)11月、正田美智子との結婚を皇室会議で内定し、翌年の1959年4月10日に結婚。明治以降では初の皇族以外での皇太子妃となった。
1960年には第一皇子浩宮徳仁親王(現皇太子)が誕生。1965年には礼宮文仁親王(現:秋篠宮)、1969年には紀宮清子内親王(現:黒田清子)が誕生、三児の父となる。

高齢にも関らず、現在でも公務、宮中祭祀ともに極めて旺盛に活動しており、天皇としての活動について非常に意欲的かつ勤勉であると伝えられることが多い。
歴代の天皇のなかでは明治天皇および特に昭和天皇に寄せる気持ちが強いようであるが、皇太子時代には後水尾天皇に言及したこともある。また即位十周年の会見で述べているように、戦中育ちとして先の大戦に寄せる気持には強いものがあり、過去に「6月23日(沖縄慰霊の日)、8月6日(広島原爆忌)、8月9日(長崎原爆忌)、8月15日(終戦記念日)の四つは忘れる事の出来ない日付である」旨の発言もある。

ハゼの分類学的研究者であり、魚類学における業績は各国で評価されている。
日本魚類学会に属して28編の論文を同学会誌に発表している。平成12年(2000年)には海外誌Geneに第一著者として論文が掲載されている。また平成4年(1992年)にはScience誌に"Early cultivators of science in Japan"という題の寄稿を寄せている。


さて、問題の事件について
学生時代、学習院高等科3年の試験が終わった日に、学友である橋本明(橋本龍太郎の従兄弟)に「銀座にいきたい」と相談し、明が「いつがいいか?」と尋ねると「今日がいい」と答えた。「一人ではなくもう一人つれていこう」と提案し、承諾(もう一人は千家祟彦)。
新任だった東宮侍従浜尾実など仕えている周りの人間を「今宵、殿下を目白の方にご案内したい」などと騙して抜け出すことに成功し、3人で銀座をぶらついた。このとき銀座4丁目あたりで慶応学生4人と出会い、慶応学生は「殿下こんばんは」と挨拶したという。
高級喫茶店「花馬車」で橋本の彼女と合流し皆で、お金を出し合い一杯99円のコーヒーを飲み、洋菓子屋「コロンパン」でアップルパイと紅茶を楽しんだり、満喫したようだが、当然ながらすぐに事件は発覚。大騒ぎになり、目的地を知り居場所を突き止められると、銀座にいた彼の周りに警官が20〜30メートルおきに配置されてしまい、これ以上散策が出来なくなり終了した。
もちろん、連れ出した学友2名が警察と皇室関係者に烈火のごとく叱られたのは言うまでも無い。
これは『銀ブラ事件』と言われ、当時は相当有名になったそうだ。
誰にでも若いときはあるんですね。

誕生日の名称

誕生日には家族や知人・友人などが集まり、祝福する行事(誕生日パーティー)が行われることも少なくない。また、高齢者が誕生日を迎えた際は、地方公共団体から祝いの品等が届く場合がある。特に長寿の場合、地方公共団体の長などが直接自宅を訪れ祝福したり、広報や地域新聞などで報道されたりもする。
昭和初期の頃は数え年(かぞえどし)で年齢を数えていた。数え年とは、年齢の数え方の一つ。生まれた時点を「1歳」とし、以降1月1日を迎えるたびに1歳加えるという方法。単に数えともいう。
例えば、12月31日に出生した場合、出生時に1歳で、翌日1月1日の時点で2歳となる。また、1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年1月1日となる。
現在の
日本では太平洋戦争後、ほとんど使われなくなった。

下に年齢、年齢ごとの名称(読み方)、由来の順で載せる。ただし、年齢は数え年。

20歳 二十歳(はたち)

30歳 三十路(みそじ)

40歳 四十路(よそじ)
   初老 (しょろう)

48歳 桑年 (そうねん)

50歳 五十路 (いそじ)
艾年 (がいねん) 髪が艾のように色あせて白くなる年の意味
杖家 (じょうか)、中老(ちゅうろう)

60歳 六十路 (むそじ)
本卦還り(ほんけがえり)生まれた年の干支と同じ干支の年がくること

61歳 還暦 (かんれき)現在の60歳のこと。干支が60年で一回りするため。
華寿(かじゅ)華甲(かこう)「華」が6つの「十」と「一」と分解できるため

66歳 緑寿 (ろくじゅ) 日本百貨店協会が「緑」の読み(ろく)から提案したとされる。

70歳 七十路 (ななそじ)
古希(こき)杜甫の詩「曲江」で「人生七十、古来稀なり」が由来

77歳 喜寿(きじゅ)「喜」の略字が七十七と分解できるから

80歳 八十路 (やそじ)
傘寿(さんじゅ)「傘」の略字(仐)が八十と分解できるから

81歳 半寿(はんじゅ)「半」の字が八十一と分解できるから
盤寿 (ばんじゅ)将棋の盤の目が 九×九 = 八十一 マスあることから来ている

88歳 米寿 (べいじゅ)「米」の字が八十八と分解できるから

90歳 九十路 (ここのそじ)
卒寿(そつじゅ)「卒」の略字(卆)が九十と分解できるため

99歳 白寿(はくじゅ)「百」の字から一をとると白になる事から

100歳 百寿(はくじゅ)
紀寿(きじゅ) 1世紀 = 100年なのでそう呼ばれる

また、100歳以上111歳未満を上寿(じょうじゅ)という

108歳 茶寿(ちゃじゅ)「茶」の字を分解すると「十、十、八十八」と分解できるから

111歳 皇寿 こうじゅ 「皇」の字を分解すると「白 (=99)、一、十、一」と分解できるから
   川寿 せんじゅ 「川」が111と読めるから

111歳以上 珍寿 (ちんじゅ)これほどの長寿は珍しい事からきている。これ以後は何歳でも珍寿と呼ぶ

119歳 頑寿(がんじゅ)
120歳 昔寿 せきじゅ 「昔」の字を分解すると「廿 (=20) + 百」 となるから
   大還暦 だいかんれき 共通 2回目の還暦を迎えたことになるため。かつての長寿世界一、泉重千代を讃えるために作られた言葉。

250歳 天寿(てんじゅ)


こうしてみると、その由来など、思わず納得してしまえるものが多い。これを考え出した先人達のセンスに驚かされる。
喜寿、米寿、白寿あたりは有名どころなので、知っている方も多いのではないかと思われる。
個人的には、120歳の「大還暦」を迎えて、泉重千代さんのように好みの女性は「年上の女性がいい」といってみたいものだ。

結婚記念日

「結婚記念日」を祝うという風習の発祥地はイギリスとされています。当時は結婚5年目・15年目・25年目・50年目・60年目の5回だけのお祝いでした。これがアメリカに渡り、回数が増え、その後日本にも伝わることになりました。
日本では、夫婦よりも家としての絆を重んじていたため、そういう風習はありませんでした。
日本における始まりは、明治27年に行われた明治天皇の銀婚式「大婚25年祝典」だといわれています。その後、一般的にも次第に広まりました。

欧米では、結婚1年目から60年目(または75年目)まで20年目までは毎年、それ以降は5年ごとの結婚記念日に名称が付けられています。その名称にちなんだ贈り物をして祝うのが欧米風の風習であり、日本でもこうした考え方、祝い方が好まれています。
中でも、最も日本に定着したのが、結婚25年目の銀婚式と、50年目の金婚式でしょう。

1〜15年目までは結婚記念日一年ごとに祝いの名前が付きます。これ以降は五年ごとに結婚記念日を祝うようになります。
基本的に身内以外の夫婦の結婚記念日に贈り物をする場合は、銀婚式と金婚式です。その他の結婚記念日では、夫婦間や身内で贈るのが一般的です。

「結婚記念日の名称と、その贈り物一覧」
1年 紙婚(アルバムなど紙製品)
2年 木綿婚/藁婚(木綿製品)
3年 革婚(バッグなど皮革製品)
4年 書籍婚/花婚(書籍/花)
5年 木婚(木製品)
6年 鉄婚(鉄製品)
7年 銅婚(銅・ブロンズ製品)
8年 青銅婚/ゴム婚(電気製品/ゴム製品)
9年 陶器婚/電気器具婚(陶磁器/電気製品)
10年 錫婚/アルミニウム婚式(錫、アルミ製品)
11年 鋼鉄婚(鍋など鋼鉄製品)
12年 絹婚/麻婚(スカーフやパジャマなど絹製品・麻製品)
13年 レース婚(手袋やショールなどレース製品)
14年 象牙婚(ネックレスや箸など象牙製品・印鑑)
15年 水晶婚(水晶製品・クリスタル製品)

20年 磁器婚(磁器製品)
25年 銀婚(食器など銀製品)
30年 真珠婚(真珠製品)
35年 翡翠婚(珊瑚・翡翠製品)
40年 ルビー婚(ルビー製品)
45年 サファイア婚(サファイヤ製品)
50年 金婚(金製品)
55年 エメラルド婚(エメラルド製品)
60年 ダイアモンド婚(ダイヤモンド製品)

JR東日本の正式名称

正式名称は東日本旅客鉄道株式会社という。
言われてきれば、聞いた事のある名称だが、関東で生まれ育った自分にはJR東日本のがしっくりくる。

JR東日本は1987年4月1日に、日本国有鉄道から鉄道事業を引き継いだ旅客鉄道会社の一つであり、東北地方・関東全域と・甲信越地方・静岡県の一部を営業区域とする。JRグループの中で最も企業規模が大きく、東証一部上場。JR東日本は略称で、英語略称はJR East。
「JR」とは英称はEast Japan Railway Companyの頭文字を取ったものである。

このほかに、旧国鉄から分社されたもので、北海道旅客鉄道(JR北海道)、東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)四国旅客鉄道(JR四国)、九州旅客鉄道(JR九州) 日本貨物鉄道(JR貨物)の六社がある。
また、鉄道全体に関する研究機関「財団法人鉄道総合技術研究所」(鉄道総研)と、JRグループ各社のコンピュータシステムや、「みどりの窓口」(マルス)を運用・管理する「鉄道情報システム株式会社」(JRシステム)と呼ばれる二つの団体が、各社の出資により存在する。

赤字による民営化が行われたことから「鉄」の字は金を失うに繋がり縁起が悪いということで、社名ロゴには「金偏に矢」(鉃、本来は鏃の意味)を使用している。しかし、各社とも正式な商号は「鉄」であり、四国旅客鉄道だけは「鉄」の字を用いている。

あべかわ餅は阿部川という地名に由来する

安倍川餅は、焼餅をお湯に浸して、黄粉(きなこ)・砂糖をまぶして食べるきなこ餅の別称。名物として知られています。
阿部川は静岡市西部を流れる一級河川。同県と山梨県との境にある、大谷嶺・八紘嶺・安倍峠を源流とし、駿河湾に注ぐ。清流としても有名で、静岡市の水道水にも使われている。

〜追記〜
その名の由来は、昔、徳川家康が、この阿部川(静岡の川)の近くまで赴いた際、地元住人に、
「砂金でこしらえたお餅です」
と言ってだされたのが、黄な粉餅だった。
阿部川では砂金が取れたそうで、それを見た家康が大変気に入り、その餅を阿部川にちなんで"あべかわ餅"と言ったのがキッカケ。
黄な粉と砂金をかけるなんて、粋なことをしてくれます。
そこを家康は評価したんでしょうねー。
(桜姫さんからの投稿)

ダイヤモンドはハンマーで壊れる

ダイヤモンドと言えば、地球上で一番硬い物質として有名な鉱石である。
ダイヤモンドは唯一単一の元素(炭素)で構成される宝石。モース硬度で10という硬さをほこり、美しさ、産出量、性質どれをとってもまさに宝石の王といえる。
しかし、このモース硬度10とは、ひっかき硬度とも呼ばれ、「壊れにくさ」ではなく「傷の付きにくさ」を表しているものであり、衝撃などに対する強さを記したものではない。
材料の粘り強さ、壊れにくさを表す靭性(じんせい)は、ダイヤモンドの場合7.5であり、これは水晶と同じであるので、ハンマーで叩けば一瞬で砕け散るということである。

ちなみに、ダイヤモンド生産量のうち、宝石に使われるのは2、3%と言われている。
ダイヤモンドの大部分は工業に使用されています。硬度が高い、熱伝導生がよい、絶縁体にも半導体にもなりえるなど、工業的に様々な特性を持ち合わせています。光沢や透明度などが必要ではない場合、ただの黒い石の様な形で使用されています。

ダイヤモンドは、装飾品としても工業的にも非常に重要な鉱物であるようです。


空が青い訳

空が青い理由に海はまったく関係ありません。逆に、海が青い理由にも、空は関係ありません。

空気の主成分は窒素・酸素分子であり、これらの分子は自由に運動(振動)しています。これに光があたると、いろいろな方向に光が放射されます。これを「散乱」といいます。日中は周りを囲むように大気があります。波長が短い光ほど散乱しやすいため、波長の短い青色はより多く目に入ってくるので、青く見えます。
、色んな方向から青系統の光が飛んでくるので、空は青く見える訳です

これと同じように、夕日が赤い理由も散乱現象で説明できます。
日の出、日の入りの時は昼間に比べて、太陽光線は人に届くまで、大気の層をより長く突き抜けなければなりません。このことより、散乱しやすい青色(の波長)は人に届くまでに拡散してしまいます。よってより直進性の高い赤色(の波長)がより多く目に入ってくるので赤く見えます。
夕日は青の光が逃げてしまいやすいので赤系統の光が残り、赤く見えるのです。

この問題、ウチの大学で出されたな・・・。
「太陽が赤い理由を情緒的ではなく、科学的に述べよ」とか。
むしろ、情緒的に書くほうが大変だと思った(笑)

海が青い理由

さて、辞書で「水」の項をひくと、「無色、無臭、透明の液体」という意味のことが書いてある。純粋な水が透明であり、なんら色がついていないということである。
だが、水にはごく僅かにだが色がある。「青」なのだ。そう言えるわけをこれから説明しよう。
まず、「色がない」とはどういうことだろう。
ちょっと化学なお話になります。
私達の身の回りにある色がついている物は、太陽や電灯からの光を反射したり吸収したりする性質がある。その物質から発せられたどんな周波数の光が目に届くか、ということで色が決まる。
例えば、植物の葉緑素は、赤成分の光を吸収し、緑と黄色の周波数の光を反射する。このため我々の眼には緑色に見えるわけだ。
光を吸収しない物質は色がない透明な物質と言え、光の干渉が極めて小さいという性質を持っている。

逆に、光を完全に吸収するのは黒。昔から「黒は熱を吸収しやすい」と言うのは、光(エネルギー)を吸収しやすいためである。

さて、水には色素、つまり特別な波長の光を反射させる物質は含まれていない。水は水素原子が二つに酸素原子一つが結合した構造をしており、一見すると色の介在する余地はない。だが、実は水には赤色の光をわずかに吸収する性質がある。
水の分子はマイクロ波から赤外線にかけての不可視領域の光をよく吸収する特性を持つ。電子レンジで水分を含んだ食品を温めることができるのは、このマイクロ波を吸収する性質を利用したものだ。

水分子は可視領域の光はほとんど吸収しないのだが、赤外線に極めて近い赤色(700nm付近)の光をわずかながら吸収する。
これにより、人間の目には赤色が弱められた光、すなわち相対的な青が強調された光として認識されることになる。

この色の性質はきわめて少ないため、コップ一杯ほどの水では無色透明に見えるかもしれない。しかし、水深が2メートルもある場所ならば、水の色をはっきりと認識できる。
海が青い理由も色々言われるが、要するに「水が青いから」なのである。

タイヤが黒い理由

車のタイヤはどうだろうか。工場で使われるフォークリフトなどごく一部を除いて、「黒」しかない。タイヤはゴムでできているが、ゴムそのものは乳白色をしている。つまり、タイヤの黒は天然のものではないのだ。
なぜタイヤは黒色しかないのだろうか?
実は、黒色の正体は「カーボンブラック」と呼ばれる炭素の粉である。カーボンブラックはタイヤの原材料の実に25%程度を占めて、補強剤の役割を果たす。もしこれが入っていないとタイヤは消しゴムのように柔らかくなってしまい、とても道路を走ることはできないだろう。
では、色つきのタイヤは作れないのか。結論から言うと、作れないことはない。他の補強剤を使えばカラータイヤは作れるだろうが、強度は著しく落ちてしまう。カーボンブラックに代わる材料はいまだ発明されておらず、実用に耐えるカラータイヤは作れない、というのが現状のようだ。

タイヤの黒にはそれなりの理由があったのである。

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